枯れ木に花咲くに驚くより 生木に花咲くに驚け

日々の驚き、喜びをキロクするためのもの。

水風呂。

贔屓のチームのファンが。




不安で困惑している。






何故ならば。






強いからだ。



チームの快進撃を目の前に。





不安と困惑に落ち着かないのだ。





ぼくらは強いチームを望みながらも。


今一歩足りないチームに慣れてしまい。




あぁ、やっぱりダメだ。。




そんな感情に慣れ親しみ。


そのぬるま湯にすっかり順化している。




もちろん意識ではそんな事は否定する。




だがしかし、慣れ親しむ感情に引き寄せられる。




それに脳が慣れているから楽なのだ。







しかし今。






ぬるま湯の前に。


水風呂が現れた。





その水風呂には。





歓喜に胸踊る”という効能があるらしい。





しかしぬるま湯に慣れたぼくらは。


その効能に魅力を感じながらも。


目の前の水風呂になかなか飛び込めないでいる。





解っているのに。


その効能がとても素晴らしいと解っているのに。




“いや、信じるのは早いぞ”

“飛び込んだら風邪を引き兼ねない”

“前に信じてみたが、とても冷たかったぞ!”




慣れた現状を捨てる事に恐怖する脳が。

あらゆる言い訳を考えだし。

ぬるま湯から一歩も踏み出せない様に。

感情を煽る。





しかし、目の前には歓喜に胸踊る効能。





どうすれば?





水風呂に飛び込むしかないのだ。




ぬるま湯から立ち上がり。




慣れない水風呂に飛び込むしかない。




それにはやっぱり不安と困惑を伴う。




脳が新しさに直面するから。



脳はそのストレスで不安と困惑を表す。



大人になればなる程、それは強い。





しかし飛び込んでしまえば。

その強い意志を前に脳が諦めれば。





水風呂に慣れようという順化が始まる。


その効能を得ようと順化する。





人生は習慣の積み重ねだ。





いくらぬるま湯に満足が行かなくとも。

いくら目の前の水風呂の効能が素晴らしくとも。




“慣れ”に脳は最大の安心を感じる。





不幸も不安も貧乏もコンプレックスも。




抜け出したいのに抜け出せないのは。




ぼくらの力が足りない訳じゃなく。




慣れ親しんだぬるま湯。


意識では否定しても。


そのぬるま湯に無意識に慣れ親しんでいるからだ。




だからこそ。




目の前の水風呂に飛び込め。




ぬるま湯から立ち上がる決意をし。


少しの勇気を持ち。


水風呂に飛び込むだけで。





望む効能に順化出来る。





さらにいえば。





目の前の水風呂は。

実は水風呂ではない。





本当は今浸かるぬるま湯と。

温度は変わりはしない。




それが水風呂だと知覚させるのも。




慣れ親しみを死守したい。




脳が繰り出す錯覚だ。





さて、水風呂に飛び込むとしよう。



全裸でスイスイと。



水風呂で平泳ぎだ。




そして。




歓喜に胸踊る体験をしよう。


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AWESOME!


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