枯れ木に花咲くに驚くより 生木に花咲くに驚け

日々の驚き、喜びをキロクするためのもの。

ハンドサイン。

贔屓のチームの捕手が。



指を駆使し、そして身振り手振りで。



ハンドサインを出す。



すると贔屓のチームの投手は。



そのサイン通りに見事に渾身の一球を投げ込む。



贔屓のチームのサードコーチが。



身振り手振りで打者にハンドサインを送る。



それを見た打者が見事にスクイズを決める。




その様を見ていて。




少なくとも自分の身内辺りとの会話は。




極めて極めてアナログな方がいいなと。





思った。





うちはアプリを通した会話はしないし。


簡易メールの内容もさして深くないけど。




このやり取りは見られている。





そう思って間違いのない方法だ。





あたかも当人同士の会話に見えても。




どこかに集積された後、間配られている。




それは間違いはない。





大勢の前で極めて濃い話を大声でしている。




それを当人同士だけが気付いていないだけだ。





なんか不自由。




これからは。




繋がらない自由もひとつの自由かも知れない。




共通言語や共通の話題よりも。





極めてアナログな。





当人同士しか伝わらない。





ハンドサインが必要かも知れない。






まだ子供だった頃。






うちの家庭は、誰かが出掛ける時。





握手をした手を。




ギュッ、ギュッ、ギュッと。




三回握り締めてから出掛けたり見送ったりしていた。




親父曰く。




出掛けたら何が起きるか分からない。




この握手が最後になるかも分からない。




だから触れ合って出掛ける言っていた。




父は漁師ではなく、普通の会社員だったから。




命懸けで荒波に挑んでいた訳ではないけれど。





今では。





あれは極めてアナログで深い会話だなと。




実感している。




丁寧な文面よりも、飾られた絵文字よりも。


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AWESOME!



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