煙草に想う人の可能性。
煙草吸いが。
煙草を口にくわえるまでが物凄い。
朝起きるのが辛くたって、病に伏せていたって布団から這い出すし。
1日通して、それを求める時間は何をどうしたって作り出す。
金が足りなければ、周りを見渡し古本屋に本を売りに行き、1円玉をあと10枚足せば煙草にたどり着くとなれば、周りの目なんて気にせずレジの前に1円玉を積み上げる。
店がそれを許すなら、1円玉を480枚積み上げる事だってやるはずだ。
さてどうしても無いときは、恥なんて隅に追いやり、一本恵んでと人に頭だって下げる。
煙草を口にくわえる事が出来るのであれば、煙草吸いは何だってやるし、やれてしまう。
進んでピエロになれてしまうのだ。
煙草がそこまで人を駆り立てるのは中毒だからで、それ自体が素晴らしくも凄くもない。この手の中毒は煙草に限らず、遠ざけた方が身のためだ。
そこではなく何が凄いって。
人が何かに駆り立てられた時の可能性の凄さだ。
その駆り立てるものと出会ったとたん人は
叶うということを実感するだろう。
実現するという事を知るだろう。
不安や恐怖や人の目なんて感じないだろう。
その間を苦労や努力の日々とも感じないだろう。
その可能性を誰もが秘めている事が凄い。
だからこそ、鋭利な刃物は使いよう。
煙草をくわえながら。
ふとそんな事を思ったわけです。
AWESOME!
♯919